麗子の肖像

久しぶりの晴れ間の覗いた日曜日。ねっとりとまつわりつくような空気が梅雨入りの近いことを知らせている。ここのところ育児放棄ならぬ家事放棄で、ごみも洗い物も洗濯物もてつかずの課題もと、いろいろなものが一週間でずいぶんと溜まっていた。6月1日はまっさらな気持ちで迎えたはずだったのだけれど。

 いろいろなものが部屋の中に澱のようにたまってくると、それは心の澱と姿をいつの間にやら変えてしまい、心の上にのしかかってきて気持ちもふさぎがちになるのは自然の摂理なり・・・、それで気付かないうちにすさんでしまっていた心に潤いを! と、いうので、とりあえず部屋の片付けに掃除に洗濯をして布団も干して午後から美術館へ出かけた。今日出かけたのは、西新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で、岸田劉生肖像画を集めた作品展をやっていた。この作品店で印象的だったのは劉生が娘の麗子をモデルにして描いた10点か20点かの肖像画たちでした。

あぶら絵に書かれた麗子は、本の表紙やら扉絵やらで、縮小されたものを見て知っていましたがオリジナルを見たのはたぶん初めてだったのではないかな。

たぶんはじめて岸田劉生の麗子像を見たのは久世光彦の蕭々館日録という小説の表紙だったとおもいます。この小説は芥川龍之介の自殺前後を題材にした小説で、僕は去年の秋ごろにたぶん読んでいたんだった。蕭々館という作家の私邸の主が児嶋蕭々(しょうしょう)といって、彼の娘は名前を麗子といった。その蕭々先生の娘の麗子のモデルとなったのが、画家の岸田劉生の娘の麗子だったというので、僕は彼女を知ったのです。

蕭々館日録

蕭々館日録

ところで、僕は麗子という名前をきくと、なんだかずいぶんと現代風のスタイルのよい美人の女の人、あるいは少女のイメージを勝手に思い浮かべてしまう、なぜなんだろうか、それははっきりとしないのだけれど、この作品展の麗子像の大半は、赤い和服をすがたで髪の毛をおかっぱに切りそろえた、こけしか和人形のような風体の、5歳から7歳、せいぜい10歳にみつるかみたぬかのわらわめ(童女)でした。そして、そのなかにはずいぶんとグロテスクな印象の絵まであって、いえ、これは本当にグロテスクな絵であって、見たときに人がギョッとさせられるような種類の絵だったりします。その絵を下宿のアパートに帰ってすこし時間がたってから思い出してみておもったのは、自分の娘を描くのにこんなにもグロテスクに、どろりとした質感で描く画家というのはなんともはや・・・と、ことばにならないことなのでした。

娘の成長を描くとともに 劉生の内面的な変化というか芸術観の変遷みたいなものが、一堂に会した幾枚もの麗子像を時間軸に沿ってならべて見てみると、そういうものがありありと感じられたのでした。

劉生は、

装飾的美
写実的美
創造的美

それらのどれかひとつではなくて
すべての要素が緊密に絡まりあって
一体となったようなそういうえを私は書きたいということが解説にあってそのことにはずいぶんと
ぼくははっとさせられたのでした。